いまを照らせ、いまを耕せ

2022年8月に胃潰瘍適応障害を発症し、休職した。12月中旬から復職しなんだかんだ勤めていたが、9月上旬から再びメンタルが沈んでしまい、会社をお休みしている。

 

12月から書いていた抑うつ闘病記も1万5千字を超えて9割書き終わっていたが、再び構成からやり直しになった。

 

仕事のことを考えていると、自殺願望の伴わない希死念慮が湧いてきて、観念的な死を求めることが増えた。早めにケアをしていたが今回は良くならず、結局仕事をお休みさせてもらっている。

 

死にたい気持ちを抑えきれないほど傷ついた自分をたいせつに癒したい気持ちと、現実や人間関係から逃げた引け目と、ふたつのアンビバレントな感情に挟まれている。

 

適応障害を患ってからというもの、自分の心の最後の踏ん張りみたいなものが効かなくなっていて、これまでは折れなかったものが折れてしまうようになった。空手で言うところの丹田が死んでいるようだ。根拠のない自信も死に絶えた。精神疾患の難しさというのは、実際、こんなところにあるのかもしれない。

 

適応障害は4割が再発すると言う。様々な手を使い抵抗したが、結局は私も波に呑まれてしまい再発した。この一年、精神疾患に関するいろんな本を何冊も読んだが、自分の答えが書かれた本なんかない。ひとつもない。断言して良い。おれの正解を知っている人なんていない。いまの自分はどうしたら良いのか、誰でも良いから教えてほしい、なんてバカか。甘えてないで自分に向き合え。外に答えはないのだ。

 

寛解する未来に行けるのかは自分次第だ。死にたい気持ちをぶち殺しておれは生きるぞ。人間万事塞翁が馬、塞翁が馬だ。

 

抑うつに沈むと毎日風呂も入らず歯も磨かない生活に陥りがちだが、ささやかな抵抗を続けていて、毎日風呂に入り髭を剃っていて偉い。今週は里芋の煮っ転がしも挽き肉炒めも作った。散歩もしている。偉い。自分で自分を尊がれ。

 

ロックミュージックもパンクミュージックもラブソングも、ぜんぶ、いまを照らすための音楽だ。同じ根っこから生えた別の花だ。おれもいまを照らすのだ。あの鐘を鳴らせ。

 

お休みのきっかけになった上司から言われた言葉は正確には思い出せないが、嫌な気持ちの記憶だけは断片的に残っている。言葉は人を殺せると思う。邪悪なパズルを組み合わせないようにピースのまま心の泥に沈めている。

 

今日は上野毛のスタバでサボっている。仕事ともに人生をサボっている。どうしようもなくて、35歳のおじさんなのに、現実から逃げている。いや年齢は関係ない。ひとりの人間が、本を読みながら茶をしばいている。自分でもどうかと思うがたまらなく嫌になってしまった。風を待つ。

 

香水のアトマイザーをどこかでまた落としてしまい、自分をなじる。気に入っていたがまあどうでもいいか。誰かに拾われておくれ。

 

ピーヒャラピーヒャラタッタタラタ。