フツウの偶像

この記事は今日から142日前、去年の10月頭に書いたがどうしても投稿できなかった記事だ。下書きを読み返してみると、鬱で苦しんでいた当時の状況がリアルに残っていたので、投稿しようと思う。

 

 

仕事に行けなくなったのは二度目だ。二度目に行けなくなってから、一ヶ月くらいが経った。

 

いまの自分はフツウからずいぶん遠ざかってしまった気がする。フツウなんてものは虚構でしかないが、その偶像から遠退いた。

 

朝井リョウ「正欲」でこんな一節があった。2/3を二回続けて選ぶ確率は4/9であるように、"多数派にずっと立ち続けること"は立派な少数派である。

 

同じ年齢の世間のフツウがあるとすれば、結婚していて、子どもがいて、家を買っていて、当たり前に働いている、のかもしれない。いまの自分はそのどれでもない。精神疾患、診察、カウンセリング、うつ、適応障害、休職。そんな文脈に私は、いる。特に悲観はしていないが、いっそのこと、巻き戻してやり直したいと妄想する。いつに戻るか。あのときか。それともあのときか。でもあのときだって、きっとその前のあのときからの積分で、そのまえのあのときは、その前の前のあのときの積分だ。だから、巻き戻すなんて意味のないことだ。できないからではなく、ならないから。

 

今日は近くのラーメン屋で塩分バッキバキの煮干しのつけそばを食べてから、南池袋公園に行き、角田光代空中庭園」を読んだ。この公園はしっかりとした椅子がある。読書していても背中や首が痛くならない。だから好きだ。

 

二時間ほど読書して、ジュンク堂に向かう。何を探すでもなくいつもの順路でフロアを歩く。まず一階。エスカレーター横のコーナーを右から左へチェックしてから、エレベーター横の企画棚へ。何冊かパラパラとめくる。三階に行き文芸や短歌などを見る。四階では、人文系や精神医療や心理学などを見た。積ん読が溜まっているので今日は買うつもりはなかったが、文芸の3階に陳列してあったカズオ・イシグロの小説を買った。ハヤカワ文庫の本を買うのは久しぶりだ。

 

南池袋のスタバでカモミールティーラテを飲み、角田光代の本の続きを読んだ。二階の席で、飽きると明治通りの渋滞を眺め、北に抜ける車を目で追った。二時間ほど過ごしていると髪の毛が脂ぎった男が向かいに座り、体臭のキツさから、席を立った。

 

スーパーでつぶ貝の刺身と牛モツの味噌漬けを買って家に帰る。うまかったが、どちらかが悪かったのだろう。3時間後に下痢でやられた。

死生観の更新(多孔質の無としての死)

昨日は山手線を一周した。11時間20分、51㎞かけて歩いた。

その間に、死生観を更新できたので残しておきたい。死についてこんなに考える年齢になったんだなぁ。

 

私は、死は輪廻や再生より無だという意見に概ね賛成なんだけど、でも死は完全な無ではないんじゃないか、と最近思う。


生の苦しみは閉じられているけど我々にはいくつか対抗手段がある(①忘却、②適応、③人とのつながり)のと同じように、死後の喜びも閉じられるけどいくつか抜け穴があると考えた方が、死は生を反転させるという構図が美しいから。

 

死は生を反転させるという構図を根拠なく信じる気持ちには論理の飛躍があるかもしれないが、私はそう信じているので、その前提で話を進めます。

 

死後の喜びの抜け穴ということについてなるべくわかりやすく言うと、死んだ後は喜びも苦しみもなにもかも消えてなくなるわけではなく、たとえばよく言われる「生きている人が死んだ人のことを思い出すと天国で花が咲いたり桜吹雪が起こる」みたいなイメージです。そういう喜びの抜け穴が、無になった死の後にもあるんじゃないかなと思う。
これはわかりやすいイメージであって、私は死に対してここまでメルヘンなイメージは持っていないけど。

 

死後に新たな苦しみから開かれる(解放される)ように、死後に新たな喜びは得られない(閉じる)が、もしかしたら死後には完結した自己の世界で、生前に得た喜びを思い出したり再体験して味わえたりする仕組みがあるんじゃないのかな、といまは思ってる。

 

簡単に図示するとこんな感じのイメージだ。

 

 

そうだとするなら、死は密閉された無ではない。穴が開いている多孔質の無としての死は、喜びを完全にシャットダウンしないという意味で希望や救いがある。そうなると、やはり我々は生きている以上、苦しみにとらわれすぎずに喜びの方角を向いて生きた方がいい、という結論になる。
生の側からみても死の側からみても、苦しみにとらわれずに、喜びを探して生きた方がいいという帰結を迎える。

 

なお、無を信じている私でも、輪廻転生や再生の考え方も救いがあって素敵なことだと思うし、何万年も人類が続くのなら、全くおんなじ細胞の組み合わせ・配列の身体が出来上がることもひょっとするとあるかもしれない。記憶は細胞に宿るのではなく細胞の関係に宿るので、そういう意味で輪廻や再生もないとは言えない。でもそれは確率があまりに小さいので、人間全員が必ず通れる道ではないと私は思う。

 

死は無だが、密閉された真空の無ではなく、穴が開いている多孔質の無だという考え方は、自分で考えた死生観にしては、なかなか救いがあって悪くないじゃないか。

 

死にたい死にたいと苦しんでいた人間が、こんなふうに死をとらえられるようになったのだから、うつになった意味があったなといまは思う。私生活は問題なく送れるようになって、着実に回復している。

 

幸せに生きたいな、といまは願っている。

死は回転扉

私は現在、抑うつ状態・適応障害で休職していますが、ひとつ掴めたことがあるので、残しておこうと思います。

死にたい死にたいと苦しんでいた9ヶ月間が報われた思いです。

死は回転扉だ、という話をします。

読んでいただけると嬉しいです。死にたいと悩んだことのある人に届け。

 

 

二月初旬に美容院で髪を切ったときのこと。美容師との世間話でとても大切なことに気づけた。うつで休職してから4ヶ月が過ぎた頃だ。

美容師は、その日の午前中に訪問美容のために末期ガン患者の緩和ケア施設を訪れた話をしてくれた。施設利用者の髪を切るなかで、死を迎える準備する方々を見て、死について考えたという。

彼は、こんな話をしてくれた。
「自分の親があとどれくらい生きられるか、自分は親とあと何回会えるか、自分自身が正月をあと何回迎えられるか。」

この話を聞いたときに私は不思議とひっかかるものがあった。帰り道に理由を振り返ってみると、私の見ている死と彼の見ている死が対照的だったからだ。

私はこの半年、死にたい死にたいと悩み苦しんでいた。そのことを精神科医に相談すると、「あなたの求める死は、物理的な自殺ではなく、苦しみからの解放だ」と教えてくれた。
一方で、美容師は喜びを閉ざすものとして死をとらえていた。

生を苦しみの方角から眺める人にとっては、死は喜ばしいもので、逆に生を喜びの方角から眺める人にとっては、死は絶望的だ。視座、言い換えれば眺める地平のどちらに立つかだけで、結論が逆転する。

余談ですが、世に蔓延るメンタルの強弱論の正体も、結局はこんなことに過ぎない、と私は思う。心は強さではなく視座の違いだけだ。あえて強弱論と同じ文脈で反論するならば、本当の意味で抑うつに苦しんだことのない人が語る"心の強さ"の浅薄さには、説得力は宿らない。うつと闘い悩み苦しむ人が自殺を選ばない強さだけは都合よく"心の強さ"の評価基準から除外されていることも、非合理的な評価基準だと感じます。コーピングスキルなどを否定する意図は全くありませんが、本当に鍛えるべきは喜びの視座に留まり続けることで、それは決して強弱論ではないと私は思う。うつと闘う人たちは弱くなんかない!と筆圧強く叫びたい。

頭を冷やして話を戻します。死は両義的だ。アンビバレントな価値が同居している。
どうしようもなく辛いときに死にたくなる場合の死は解放。苦役から開かれる側面がある。対して、喜びや楽しみという観点からは、死は生におけるあらゆる可能性を閉じる。
つまり、死は開くと同時に閉じることだ。死は回転扉みたいに、開きながら閉じる。それこそが、生の一回性と並んで、死の本質の重要な一部だ。

このことは同時に、生の構造や設計を示唆しているようにも感じた。
生においては楽しさ側が開かれていて、苦しさ側が閉じられており、死はそれを反転させる。
ただし、生において閉じられている苦しさにはいくつかの対抗手段があって、健康な人は、①忘却、②適応、③人とのつながりなどで闘えたりする。

うつ病適応障害のときに苦しいのは、この対抗手段を手に取ることができずに、苦しみにとらわれてしまうからだと思う。

そこまで考えて、私はこう思った。
生の苦しさは閉じられていても、私たちにはいくつか対抗手段があるのだから、必要以上に恐れずに、生きている以上は可能性が開かれている楽しさや喜びを追い求めた方が良いということを、生と死の構造は暗に示しているのではないか。
それならば、これから私は喜びの方角を向いて生きよう。

このことに気づけて、ようやく心のもやが晴れた。
死生観を受け売りではなく自らの手で形づくることは一生に一度あるかないかだと思うので、初めて、うつになった意味を心から認められた。
いまは苦しみにとらわれるのではなく、自分にとっての喜びを探そうという気持ちが強くあらわれるようになった。やっとスタートラインに立てた。

この話を精神科医に報告すると、「あなたは天才かもしれない、感銘を受けた」と言ってくれた。本当に嬉しかった。
先生曰く、どうやらこの死生観は、精神科医・心理学者のカール・ユングと共通するようで、著作を手繰ってみると確かにユングも死を「破局」であり「喜ばしいこと」であると両義的に見ていた。

この話を平たく言えば、「苦しみにとらわれずに、喜びを探して幸せに生きよう」となんとも陳腐な帰結になるのだが、うつの渦中にいる人はそれができないから苦しいのだ。
おそらくこのポストが万一当事者に届いたとしても、そのほとんどの人の心は動かせないと思う。そもそも文章なんて目が滑ってしまい読めない人もいる。私もうつの渦中は、大好きだった音楽も小説も届かなかった。重度のうつ病の人であれば、なおさらだろう。うつはそれほど難しいから。

うつ病適応障害は、再発率が高い病気ですし、社会のスティグマも強く、治療・寛解や病気との共存は簡単ではないと感じていますが、今回の話がもし、おひとりでも当事者の方の心に届いたら、私はとても嬉しいです。

うつに対する言葉の限界は身に沁みて分かっていますが、回復期における言葉への希望を捨てたくない気持ちもまたあるからです。

私は休職するのは二回目で、一回目と二回目は症状がかなり異なっていました。
一回目は思考の検証ができず、自責が止まらず脳がオーバーヒートして暴走している感覚で、二回目は自責感はなく憂うつな思考や記憶にとらわれていて、「死にたい」が口癖でした。一回目は文章を読むことができなくなりましたが、二回目は最初から本を読めました。

今の私は、毎日喜び探しをしている途中で、仕事に復帰するのはもう少し時間がかかりそうです。

家族や友人には恵まれていて、それぞれの苦しみがある生活のなかでも、気にかけてくれる人がいることを、有り難く思います。

もし元気になったら、この経験を文章に残したいなと思っています。

マックス・ヴェーバーも、池田勇人も、病気になって長いこと休職しているわけだし、まあきっとなんとかなるわ。なるなる。跳躍の前の屈伸みたいなもん。


八握剣異戒神将魔虚羅に、俺はなる(適応障害、治したい)!

マコラになりてぇな~


壁に生えた黒い黴は

家事への逃避をだいたいし尽くして、休職中のやることがなくなってしまったので、手持ち無沙汰な日々が始まった。休職中の家事は、逃避であり、思考の留保であり、生活の着色でもあった。

 

夏の間に部屋の壁に生えた黒い黴は、自分の心にまとわりついたずるさや怠惰のようにも思えた。もしかしたら、うつで働き続けることを止めたあの瞬間、自分の心には怠惰や欺瞞がこびりついてしまったのかもしれない。漂白剤を壁に吹き掛けるように、自分のずるさもきれいに拭き上げられたらどんなに気持ちいいだろう。勘違いであって欲しい。

 

自分の中に問いがいくつかあって、多極的に沈殿するそれらの問いを掬い上げ言語化し、思考を整理して自分なりに回答する。休み、労り、癒しながら、そういうことに取り組むべきだとやっと分かってきた。

 

夜、散歩しながら、働くことについて思索していたら、会社を辞める一歩手前まで歩を進めていた。チェスのポーンのような前進だ。

 

数日に一冊、本を読む日々だ。たくさん本を読むのは自分の悩みに対する答えを求めているからであり、またもて余す時間をやりすごすためだが、自分の問いに対する回答はどの本にもなかった。うつは200色ある。自分自身で問いを立てて、自分自身で回答するしかない。

 

休職中の家事は、心の傷にかさぶたができる前に安易に結論を出さないように保留する猶予でもあった。

 

家事は生活を着色した。例えばスーパーの棚に国産レモンが並び始めたのでレモンシロップを作ったり、安く売られていた広島県産の牡蠣のオリーブオイル漬けをつくったりする度に、生活に季節感が宿り、色づいていった。

 

あれだけ懸命に働いた結果が、うつによる休職だったというのは人生の理不尽や不条理だと思う。平等に不平等な理不尽や不条理について考える。この理不尽に絶望せずに、その苦みを受容して味わえるような視点こそが必要だ。

 

一度うつになってから、思考に根拠のない不信が芽生えてしまうようになった。その弱気さゆえにいろんなことがうまく行かなくなる。

 

今日は歯医者と精神科の診察だった。ぶりが半額だったのでぶりの照り焼きをつくった。大根の煮物も作ったのだが、作り終わったら理由もなく急に気味の悪いものに感じて、食べられなかった。捨ててしまうかもしれない。

 

レモンシロップからレモンを取り出してシロップを瓶に詰めた。みずみずしくて爽やかな甘さの外周に皮の苦味が感じられて、とてもおいしい。

 

美味しんぼに10年寝かせたさくらんぼのシロップが出てきてから、どうしてもさくらんぼシロップのジュースが飲みたくて、ジファールのさくらんぼシロップを小川珈琲の通販で買った。さくらんぼの香りはあまりよく分からないが、おいしいのは確かだ。

 

最近は風呂に入ってからハーブティーを淹れてから眠ることにしているんだけれど、眠る頃になると食欲が頭をもたげる。昨夜は抗うつ薬を飲んで意識混濁しながら、空腹におされて夜中3時過ぎに、うどん2玉、ラーメン1玉を貪っていた。まるで兼末健次郎の兄みたいだった。

 

人生観として自分を成長させることというのはどうやら普遍的根元的なものとしてありそうなのだけど、私はその価値を自分自身にも敷衍したいのだろうか。それから、成長とストレスに対峙することには相関があるけれど、抑うつに苦しむ人は成長についてどう向き合えばいいのかということを考えている。

 

かつては自分自身も確かに成長したいという人生観を持っていたがいつのまにかその熱はかなり冷めてしまった。他人のために貢献したい欲もいつの間にかなぜだか冷えてしまった。いまは自分がどうしたいのかいまいちよくわからない。

 

ストレスのない人生なんてないのだし受け流しながらやっていくしかないはずだ。落ちたときにダメだと言えて、周りの人に頼れて、なるべく働くのを中止しない範囲に収めるようになるしかない。

 

一度KOされたボクサーがそれ以降何度も簡単にKOされるように、うつの休職にもそれに似たなにかがあるのだと思う。だから再発して再休職率が高い。身体的心理的な要因は両方ある。

 

個性とか人間とか人生とかなにか大きくて大切なものに対峙する弱くて小さい自分自身がせめて大切な場面で逃げ出さずに大切なことを大切だと思える人間でありたい。

 

うつの本はたくさん読んだけど、なかなか「自分の問い」に答えてくれる本はない。うつは200色ある。

 

一ヶ月くらい前から、部屋にコバエが出るようになってしまった。粘着テープのコロコロで轢き殺して捕獲しているのだが、なかなか根絶できない。もう数百匹は殺生したはずだ。

休職中の過ごし方

9月に休職してからというもの、休職中にどう過ごせば良いのか、いまいちわからない。

 

というのも、休職後に、いまの会社に復帰したいのか、退職したいのかが決まっていないのでどうもダメだ。ゴールが定まっていないのだ。これには転職リスクの問題が絡まっている。

 

そもそも薬の副作用が強くて午前中はまともに活動できないので、だいたい正午前後から活動を開始している。

読書や散歩ばかりする毎日で、たまに喫茶店でいまのこと、これからのこと、人生について考え、ノートにさらさらとまとめる。だいたいにして考えがまとまらないが、本を何冊も読んでいくうちに、性格や論理の一貫性などはだいたいにして虚構で、混沌とした状態こそ実に人間や人生っぽくてどうやら真実らしい、ということは実感を伴って分かった。

 

この世の中には宗教を信じる人がいたりいなかったりする。法律に従う人もいれば法の枠組みの闘争を固辞して独自の解決を考える人もいる。厳密に運用されている法律もあれば、政府や検察が解釈をねじ曲げたり、賭博や性風俗のように法律の解釈をぶち曲げながら運用していたりする。かたや精神疾患で治療中、かたやナンパしてパコ活中。少し移動すれば戦争中。地球のなかに清廉も汚濁もあって、それらを差別せずに抱く。それだけが真実な気がする。

 

今日はお昼に二郎系ラーメンを食べた。一口は確かに抜群においしいが、後半満腹になり尻すぼみしていくこの様はいったいなんだろう。200gでもお腹パンパンになりながら席をたった。

 

そのあとは3時間くらいかけて家の大掃除をした。最近、本が増えてきたので本棚を買った。それが届くまでに色々と整理をする算段だ。本棚に何の本をしまおうかな。

 

棚の近くの壁が少しカビていたので雑巾で拭きあげたり、床を掃除機をかけたりクイックるワイパーで磨いたり。ちょうど良いと思い、古くなった食材や調味料もこの機会に整理した。

 

キッチンのステンレス棚の錆び落としも今度時間をかけてやるつもりでいる。

 

夕方、ドクターペッパーを飲みながら公園のベンチでたそがれていたら、93歳のじいさんに話しかけられた。若い人とお話がしたいらしい。曰く外交官で、建国当初のイスラエルにいたことがあるらしく、いまの情勢に関する講釈を賜った。相手の口が臭かったが、おれも昼に二郎系ラーメンを食べていたのでその間はとんでもない臭いだったのではなかろうか。10分くらい話をしてから隣の若い女性にも話しかけていてバイタリティーが凄い。

 

夜、YouTube美味しんぼを見ていたら10年熟成したさくらんぼシロップの話が出てきた。10年も熟成したらどんな味わいになるのだろう。ふと、2017年に瓶詰めで仕込んだ梅シロップ、あれはまだ飲めるかなと思い立つ。

調べてみると、容量満杯でほとんど空気を入れずに保存したおかげで、色は薄い黄金で酸化していない。香りも梅の香りが保たれている。軽く舐めてみてもなんとなく大丈夫そう。念のため湯煎で煮沸したうえで、飲んでみた。

ーー飲める。100年漬けた梅干しがあるんだから6年置いといた梅シロップもまあいける道理だ。味は礼賛するほどではないが、まあうまい。味は梅の香りがしっかりするのと香りに奥ゆきがあってどこか樹木みたいな味わいがする。

 

さくらんぼシロップを飲んでみたいと思っていたら、ネットで3000円くらいで売っていたので買ってみることにした。来年は作ってみたい。それから、冬の間に国産レモンが手に入ったらレモンシロップもつくってみたい。

 

こんな生活で良いんだろうか。果たして自分はどうしたいのだろう。

 

梅シロップも6年休んでたし、まあ最悪1年くらい休んでもいいか。

いまを照らせ、いまを耕せ

2022年8月に胃潰瘍適応障害を発症し、休職した。12月中旬から復職しなんだかんだ勤めていたが、9月上旬から再びメンタルが沈んでしまい、会社をお休みしている。

 

12月から書いていた抑うつ闘病記も1万5千字を超えて9割書き終わっていたが、再び構成からやり直しになった。

 

仕事のことを考えていると、自殺願望の伴わない希死念慮が湧いてきて、観念的な死を求めることが増えた。早めにケアをしていたが今回は良くならず、結局仕事をお休みさせてもらっている。

 

死にたい気持ちを抑えきれないほど傷ついた自分をたいせつに癒したい気持ちと、現実や人間関係から逃げた引け目と、ふたつのアンビバレントな感情に挟まれている。

 

適応障害を患ってからというもの、自分の心の最後の踏ん張りみたいなものが効かなくなっていて、これまでは折れなかったものが折れてしまうようになった。空手で言うところの丹田が死んでいるようだ。根拠のない自信も死に絶えた。精神疾患の難しさというのは、実際、こんなところにあるのかもしれない。

 

適応障害は4割が再発すると言う。様々な手を使い抵抗したが、結局は私も波に呑まれてしまい再発した。この一年、精神疾患に関するいろんな本を何冊も読んだが、自分の答えが書かれた本なんかない。ひとつもない。断言して良い。おれの正解を知っている人なんていない。いまの自分はどうしたら良いのか、誰でも良いから教えてほしい、なんてバカか。甘えてないで自分に向き合え。外に答えはないのだ。

 

寛解する未来に行けるのかは自分次第だ。死にたい気持ちをぶち殺しておれは生きるぞ。人間万事塞翁が馬、塞翁が馬だ。

 

抑うつに沈むと毎日風呂も入らず歯も磨かない生活に陥りがちだが、ささやかな抵抗を続けていて、毎日風呂に入り髭を剃っていて偉い。今週は里芋の煮っ転がしも挽き肉炒めも作った。散歩もしている。偉い。自分で自分を尊がれ。

 

ロックミュージックもパンクミュージックもラブソングも、ぜんぶ、いまを照らすための音楽だ。同じ根っこから生えた別の花だ。おれもいまを照らすのだ。あの鐘を鳴らせ。

 

お休みのきっかけになった上司から言われた言葉は正確には思い出せないが、嫌な気持ちの記憶だけは断片的に残っている。言葉は人を殺せると思う。邪悪なパズルを組み合わせないようにピースのまま心の泥に沈めている。

 

今日は上野毛のスタバでサボっている。仕事ともに人生をサボっている。どうしようもなくて、35歳のおじさんなのに、現実から逃げている。いや年齢は関係ない。ひとりの人間が、本を読みながら茶をしばいている。自分でもどうかと思うがたまらなく嫌になってしまった。風を待つ。

 

香水のアトマイザーをどこかでまた落としてしまい、自分をなじる。気に入っていたがまあどうでもいいか。誰かに拾われておくれ。

 

ピーヒャラピーヒャラタッタタラタ。

坂口恭平日記

坂口恭平さんを知ったのはたぶん2015年頃で、知ったきっかけは音楽やいのっちの電話だった。それからは著書も何冊か読んでいたしアルバムも何枚か聞いていた。家族でレコーディングしているアオとゲンのアルバム「クマと恐竜」がいちばんのお気に入りだ。

 

2020年にTwitterに投稿されていたパステル画が毎日どれも素敵で、それからは画集を買ったりもした。

 

抑うつで休職中のときのこと。インターネットの海に2022年5月頃に投げ込まれた1枚の絵に秋口に再会した。坂口恭平さんの「潜る人」という絵だ。

 

彼の描く夏や水、光、家族の絵が好きで、この絵には、そのときのどうしようもない抑うつ感情や見えてないけどどこかにありそうな希望を投影できた気がした。潜る人という題ながら、遊泳するという沈みこみ過ぎない景色だったのも気に入り、「えいや」と購入した。個展を開くというので貸し出したところレセプションに招待された。こんな機会は二度とないかもしれないので行ってみることにしたのだ。

 

人生の記憶の断片に残るシーンと切れ落ちるシーン、それぞれを丁寧に掬いあげて光のアルバムに綴じたみたいな素敵な場所だった。

 

絵画が縦に5段も連なる展示というのは初めてで、その勢いに笑ってしまった。時系列になっているのも興味深くて、いまのタッチはだいたい100枚目くらいから獲得したんだということも面白かった。パラパラとアルバムをめくっているような感覚で、水のようにサラサラしてて鑑賞していても疲れないので2周した。

 

Twitterや画集で好きだった絵にも再会できた。もう二度と集まらない可能性を含めて大切に味わった。

 

坂口さんのスピーチも心がこもってて、少しおどけながら感謝の言葉が繰り返された。家族、両親、親友、展示を支えてくれた職員、絵を貸してくれた所有者。ひとりひとりに感謝を伝えた。

2日前までうつで苦しんでいた彼は、5年前から準備されていたこの展示に出られないかもしれないと苦しんでいたそうだ。そんな彼に周りは彼がいなくても済む準備を重ね、安心させた。

 

作品や活動で多くの人を救う坂口さんが家族や周りの人に助けられて生きている。

抑うつで休職中に同僚が私の穴を埋めてくれたように、私も過去に誰かを助けたことがある。きっと誰もがそうだ。

 

助け助けられる役割がスイッチしていくこと。私もあなたも誰かを助けているという可能性。そんな簡単なことがどうしようもないくらい希望に思える。この世界には、誰かのためや自分のためではなく、みんなのおかげで回っている場所がある。

植物が虫や風に生存戦略を託すみたいに、誰かが誰かにどこかで支えられている可能性、いまはそれが希望に思える。

 

シークレットゲストで折坂悠太さんが出てきてブチ上がった。2016年ぶりに見れた。