フツウの偶像

この記事は今日から142日前、去年の10月頭に書いたがどうしても投稿できなかった記事だ。下書きを読み返してみると、鬱で苦しんでいた当時の状況がリアルに残っていたので、投稿しようと思う。

 

 

仕事に行けなくなったのは二度目だ。二度目に行けなくなってから、一ヶ月くらいが経った。

 

いまの自分はフツウからずいぶん遠ざかってしまった気がする。フツウなんてものは虚構でしかないが、その偶像から遠退いた。

 

朝井リョウ「正欲」でこんな一節があった。2/3を二回続けて選ぶ確率は4/9であるように、"多数派にずっと立ち続けること"は立派な少数派である。

 

同じ年齢の世間のフツウがあるとすれば、結婚していて、子どもがいて、家を買っていて、当たり前に働いている、のかもしれない。いまの自分はそのどれでもない。精神疾患、診察、カウンセリング、うつ、適応障害、休職。そんな文脈に私は、いる。特に悲観はしていないが、いっそのこと、巻き戻してやり直したいと妄想する。いつに戻るか。あのときか。それともあのときか。でもあのときだって、きっとその前のあのときからの積分で、そのまえのあのときは、その前の前のあのときの積分だ。だから、巻き戻すなんて意味のないことだ。できないからではなく、ならないから。

 

今日は近くのラーメン屋で塩分バッキバキの煮干しのつけそばを食べてから、南池袋公園に行き、角田光代空中庭園」を読んだ。この公園はしっかりとした椅子がある。読書していても背中や首が痛くならない。だから好きだ。

 

二時間ほど読書して、ジュンク堂に向かう。何を探すでもなくいつもの順路でフロアを歩く。まず一階。エスカレーター横のコーナーを右から左へチェックしてから、エレベーター横の企画棚へ。何冊かパラパラとめくる。三階に行き文芸や短歌などを見る。四階では、人文系や精神医療や心理学などを見た。積ん読が溜まっているので今日は買うつもりはなかったが、文芸の3階に陳列してあったカズオ・イシグロの小説を買った。ハヤカワ文庫の本を買うのは久しぶりだ。

 

南池袋のスタバでカモミールティーラテを飲み、角田光代の本の続きを読んだ。二階の席で、飽きると明治通りの渋滞を眺め、北に抜ける車を目で追った。二時間ほど過ごしていると髪の毛が脂ぎった男が向かいに座り、体臭のキツさから、席を立った。

 

スーパーでつぶ貝の刺身と牛モツの味噌漬けを買って家に帰る。うまかったが、どちらかが悪かったのだろう。3時間後に下痢でやられた。