木下龍也「あなたのための短歌集」を読んだ

上坂あゆ美さんの短歌集「老人ホームで死ぬほどモテたい」を読んでから、短歌の面白さを知った。

 

作り手は短い音で一瞬を切り取り、読み手はその一瞬に降り募る情景や心情に思いを寄せる。たった三十一文字で作り手の景色と心情が行間まで補って私に再現される不思議。作り手の投げた言葉が心の泉に落ちて、凪いだ海馬からシーンが水しぶきを放っていく。まざまざと、生き生きと、よみがえる。水しぶきはたまに口のなかにまで入ってきて、苦さやしょっぱさ、甘さ、グロテスクな臭い、舌触りの不快さまでも伝えてくる。

千年後も、日本語を操る誰かには届くかもしれない、少ない音数の持つ飛距離。何百MBもの情報量を持つ動画媒体にはありえない、100byte以下の情報量が想像力でつなぐ飛距離。小ささの持つ強さ、遅さに備わる豊かさ。その背反するロマンチックさは甘美だ。

 

ジュンク堂の短歌コーナーで好みの歌人を見つける遊びをした。

 

何人かの歌集を手に取ってみたがそれほどしっくり来なかった。ふと気づく。皆、棚の一段を背表紙と表紙で分けあって陳列されているのに対して、一段まるまるを一人の表紙で埋める歌人がいた。木下龍也さんであった。書店からの推され具合がよくわかる。

 

数冊のうち、一冊をとってみる。

頁をめくってみると、右側のお題に対して、左側に短歌が書かれており、その構成が初心者には入り込みやすそうだった。この本を買うことに決めた。どうやら「あなたのための短歌1首」という短歌制作の個人販売サービスをまとめた本で、注文する顧客側が出すお題に対して、木下さんが、あなたのための一首を詠む、というサービスのようだ。

https://kino112.thebase.in/items/8135442

-----(以下、引用)

あなたのために短歌を1首つくり、便箋に書いて封筒でお送りします。お題はお名前とともに(引用者省略)へお送りいただくか、ご注文時の備考欄にご記入ください(長文でも大丈夫です)。この短歌を僕はどこにも発表しません。あなたのためにつくります。どうぞよろしくお願いいたします。募集は不定期です。お題のメールには基本的に返信をしておりません。また、お題をいただいてから1ヶ月以内には発送をいたします。

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顧客側のお題は様々で、自分の名前や恋愛、仕事、家族、飼い犬など多岐にわたっていた。右側にある言葉は私の悩みではないが、左側にある言葉は私への短歌でもあるのが不思議だ。様々な歌が刺さってきた。気づけば心の温度が上昇していた。心に小さな灯りが点くような気持ちになる。本を購入し、南池袋公園で残りの頁を味わうように読んだ。恋愛の切り取り方はしなやかで鮮烈で、痛みや不安に寄り添う言葉は柔らかくやさしかった。それでいて、三十一文字の言葉はどれも力強かったのが印象的だ。女性の肢体のようになめらかであり、北アルプスの稜線のように鋭利でもある。

 

好きな短歌は写真を撮ってスマホの写真フォルダに保存した。

 

丁寧に詠まれたこの短歌を顧客はきっと涙しながら繰り返し読んだのだろうな、という頁もひとつやふたつではなかった。顧客の声はbaseの店舗サービスレビューまで読み込んだが、多くの方が期待以上に満足していた。こんなサービスがあるのなら、いつか私も頼んでみたいと思った。短歌という世界がより身近に魅力的に見えた。

 

読み終わると、その足でまたジュンク堂に行き、著作を二冊買い増していた。