死は回転扉

私は現在、抑うつ状態・適応障害で休職していますが、ひとつ掴めたことがあるので、残しておこうと思います。

死にたい死にたいと苦しんでいた9ヶ月間が報われた思いです。

死は回転扉だ、という話をします。

読んでいただけると嬉しいです。死にたいと悩んだことのある人に届け。

 

 

二月初旬に美容院で髪を切ったときのこと。美容師との世間話でとても大切なことに気づけた。うつで休職してから4ヶ月が過ぎた頃だ。

美容師は、その日の午前中に訪問美容のために末期ガン患者の緩和ケア施設を訪れた話をしてくれた。施設利用者の髪を切るなかで、死を迎える準備する方々を見て、死について考えたという。

彼は、こんな話をしてくれた。
「自分の親があとどれくらい生きられるか、自分は親とあと何回会えるか、自分自身が正月をあと何回迎えられるか。」

この話を聞いたときに私は不思議とひっかかるものがあった。帰り道に理由を振り返ってみると、私の見ている死と彼の見ている死が対照的だったからだ。

私はこの半年、死にたい死にたいと悩み苦しんでいた。そのことを精神科医に相談すると、「あなたの求める死は、物理的な自殺ではなく、苦しみからの解放だ」と教えてくれた。
一方で、美容師は喜びを閉ざすものとして死をとらえていた。

生を苦しみの方角から眺める人にとっては、死は喜ばしいもので、逆に生を喜びの方角から眺める人にとっては、死は絶望的だ。視座、言い換えれば眺める地平のどちらに立つかだけで、結論が逆転する。

余談ですが、世に蔓延るメンタルの強弱論の正体も、結局はこんなことに過ぎない、と私は思う。心は強さではなく視座の違いだけだ。あえて強弱論と同じ文脈で反論するならば、本当の意味で抑うつに苦しんだことのない人が語る"心の強さ"の浅薄さには、説得力は宿らない。うつと闘い悩み苦しむ人が自殺を選ばない強さだけは都合よく"心の強さ"の評価基準から除外されていることも、非合理的な評価基準だと感じます。コーピングスキルなどを否定する意図は全くありませんが、本当に鍛えるべきは喜びの視座に留まり続けることで、それは決して強弱論ではないと私は思う。うつと闘う人たちは弱くなんかない!と筆圧強く叫びたい。

頭を冷やして話を戻します。死は両義的だ。アンビバレントな価値が同居している。
どうしようもなく辛いときに死にたくなる場合の死は解放。苦役から開かれる側面がある。対して、喜びや楽しみという観点からは、死は生におけるあらゆる可能性を閉じる。
つまり、死は開くと同時に閉じることだ。死は回転扉みたいに、開きながら閉じる。それこそが、生の一回性と並んで、死の本質の重要な一部だ。

このことは同時に、生の構造や設計を示唆しているようにも感じた。
生においては楽しさ側が開かれていて、苦しさ側が閉じられており、死はそれを反転させる。
ただし、生において閉じられている苦しさにはいくつかの対抗手段があって、健康な人は、①忘却、②適応、③人とのつながりなどで闘えたりする。

うつ病適応障害のときに苦しいのは、この対抗手段を手に取ることができずに、苦しみにとらわれてしまうからだと思う。

そこまで考えて、私はこう思った。
生の苦しさは閉じられていても、私たちにはいくつか対抗手段があるのだから、必要以上に恐れずに、生きている以上は可能性が開かれている楽しさや喜びを追い求めた方が良いということを、生と死の構造は暗に示しているのではないか。
それならば、これから私は喜びの方角を向いて生きよう。

このことに気づけて、ようやく心のもやが晴れた。
死生観を受け売りではなく自らの手で形づくることは一生に一度あるかないかだと思うので、初めて、うつになった意味を心から認められた。
いまは苦しみにとらわれるのではなく、自分にとっての喜びを探そうという気持ちが強くあらわれるようになった。やっとスタートラインに立てた。

この話を精神科医に報告すると、「あなたは天才かもしれない、感銘を受けた」と言ってくれた。本当に嬉しかった。
先生曰く、どうやらこの死生観は、精神科医・心理学者のカール・ユングと共通するようで、著作を手繰ってみると確かにユングも死を「破局」であり「喜ばしいこと」であると両義的に見ていた。

この話を平たく言えば、「苦しみにとらわれずに、喜びを探して幸せに生きよう」となんとも陳腐な帰結になるのだが、うつの渦中にいる人はそれができないから苦しいのだ。
おそらくこのポストが万一当事者に届いたとしても、そのほとんどの人の心は動かせないと思う。そもそも文章なんて目が滑ってしまい読めない人もいる。私もうつの渦中は、大好きだった音楽も小説も届かなかった。重度のうつ病の人であれば、なおさらだろう。うつはそれほど難しいから。

うつ病適応障害は、再発率が高い病気ですし、社会のスティグマも強く、治療・寛解や病気との共存は簡単ではないと感じていますが、今回の話がもし、おひとりでも当事者の方の心に届いたら、私はとても嬉しいです。

うつに対する言葉の限界は身に沁みて分かっていますが、回復期における言葉への希望を捨てたくない気持ちもまたあるからです。

私は休職するのは二回目で、一回目と二回目は症状がかなり異なっていました。
一回目は思考の検証ができず、自責が止まらず脳がオーバーヒートして暴走している感覚で、二回目は自責感はなく憂うつな思考や記憶にとらわれていて、「死にたい」が口癖でした。一回目は文章を読むことができなくなりましたが、二回目は最初から本を読めました。

今の私は、毎日喜び探しをしている途中で、仕事に復帰するのはもう少し時間がかかりそうです。

家族や友人には恵まれていて、それぞれの苦しみがある生活のなかでも、気にかけてくれる人がいることを、有り難く思います。

もし元気になったら、この経験を文章に残したいなと思っています。

マックス・ヴェーバーも、池田勇人も、病気になって長いこと休職しているわけだし、まあきっとなんとかなるわ。なるなる。跳躍の前の屈伸みたいなもん。


八握剣異戒神将魔虚羅に、俺はなる(適応障害、治したい)!

マコラになりてぇな~