再び、始める

20220926


8月3日から仕事を休職している。厳密には有給を使っているわけだが、そんなことは些末なことだ。

 

初めは胃を壊し、だんだんとメンタルも崩していることに気づいた。いまは服用と休業をして療養している。

 

仕事による過度なストレス、不規則な生活がたたってしまったようだった。
思い付く節はたくさんあるが、その一つに、自分の人生のハンドルを手放し惰性でアクセルを踏むような、人生への向き合い方が、特にここ数ヵ月、あったように感じる。

 

医師からは日記をつけると良いと言われたので、また、ブログを離れる弊害を感じることも増えたので、いまの自分を残しておこうと思う。

いま書きながら、文章を書くことがずいぶんと下手になったことに気づいた。リハビリだと思い直し、続けてみる。

 

朝から新宿御苑へ向かった。一ヶ月ほど前から、椅子とレジャーシートを持っていき、昼寝や読書、絵を描くことで過ごすようなったため、最近はよく訪れる。

セブン-イレブンでカフェオレを買った。入り口の前で月曜日はお休みと知る。

 

なんとなく、新宿線で住吉へ。恩賜公園でしばらくぼうっとしてから、錦糸町でコシャリを食べた。
数年前に、会社の前でこのお店のキッチンカーが出ていて、久しぶりに食べたくなった。味の印象はあまり変わらないが、エスニック料理のようになぜだかまた食べたくなる味をしている。タイマッサージやピンサロをすり抜けて駅へと向かう。

 

ポレポレ東中野へ移動。「荒野に希望の灯をともす」という、中村哲さんを取材したドキュメンタリー映画をみた。

 

会場には60代以上の方が大半を占めていた。

映画の中の中村さんは、周りの人を慈しむような愛の温かさと、目的を達成するための決意が同居しているような眼をしていた。
中村哲さんが最初の治水工事を始めるときのこと。アフガン人に対してこういった台詞が印象的だ。
「-―我々は決して逃げない」


中村哲さんのことは以前から存じ上げていたが、初めて緒方正人や永井隆博士の生き方を知ったときのような気持ちになり、不思議と涙が止まらなくなった。

劇場では食事禁止だが、お菓子を食べる人がいて、ビニールの音がうるさく、後ろを振り向いて注意してやりたくなった。はじめのうちは腹立たしかった。しかし映画を見るにつれて、こういう正しさを振りかざして他人を攻撃する癖は、どこかで対テロ戦争と断定する姿勢に似ているかもしれないと感じたため、その気持ちは捨てた。捨てた途端に、捨てたはずなのに、それではこの迷惑をかけられた感情はどうすれば良いのだ、という気持ちも、ほんの少し立ち上がった。

夜はなかなか眠れずにイライラした。

 

 

20220927
朝は家の掃除や洗い物、洗濯機の掃除などをした。

午後は新宿御苑へ行く。
電車ではいきがった高校生がうるさくしていたが、同じ土俵に乗らないように彼らとの年齢差を数えて心の波を静めた。

公園に入ると、植物を燻したようなあの香りと、加えて、数日前にはなかった、キンモクセイの香りが漂っていた。

 

公園では山の絵を描いた。


安倍晋三国葬をやっているらしく(-―そんなもんやるなよ)、ヘリコプターが何時間も頭上をぐるぐると旋回していた。

 

休職してから絵を描くようになった。色を塗っている間は心静かになる。もう10枚以上は描いているが、相変わらず上達はしない。

 

すこしばかり小説を読んだ。
最近はサン・テグジュペリの「人間の土地」を読んでいる。