言葉は間に合う

先週の話。土曜日、自分のダメなところがよく分かる。他人との関わりで自分のいたらなさを痛感する日々だ。確実に成長しているのだと信じたい。部屋干しする洗濯物たちに感情を重ねた。

日曜日、朝から呼び出され親と会った。仕事の話や介護の話、兄の子どもの話をした。雨のなか、帰ってからはスプラトゥーンに精を出した。

三輪亮介さんの本を読んだ。一作目よりも二作目の方が切実で好きだ。かつて読んでいた記事が本になっているのは少し不思議で、ブログよりも読みやすく一気に通してしまう。彼に間に合った言葉があったことに安心した。言葉は間に合うんだな。本当は保管しようと思ってたんだけど、冒頭から読み終わったら捨ててほしいとバイトやめる学校みたいなことが書いてあったので捨て場所を探している。

セクハラ、盗難、結核、ストーカー、宗教勧誘。ここ数ヶ月で対処したことの品揃えがなかなかである。すべて仕事周りだけだ。確実にハゲが進行している。社会が病んでいる。たったひとりではなにもできないが、おれは世直しマンとして抵抗を続けていこうと思う。

土曜日。日本橋で映画のアラジンを見た。評判通り、音楽が素晴らしくてとても楽しかった。その後、八丁堀の銭湯へ行った。湯が熱い。受付のおじさんと談笑した。銭湯にいるじいさんは微笑ましく、畏敬の念を向けてしまう。シワや白髪、ハゲにたるみがかっこよくすら映る。なぜ街や電車ではそう思えないのか。年寄りにはリラックスしておいてほしい。そういう社会がいい。

日曜日、池袋で映画「新聞記者」を見た。安倍政権のスキャンダルに重ねて、煽ったり溜飲を下げたりするのではなく、もし自分だったらと重ねて想像することに身を置くしかない気がした。作品なので。自民党ネットサポーターズや内調など、現実に存在する組織を思う。特定の誰かにだけ生きやすさに特化した社会は生きづらいな。2017年ごろに加計学園の生物化学兵器製造に関するニュースが出てすぐに消えたことを思いだした。安倍政権や日本会議を思えば、プライドばかり高くて彼らの理念は嘘と装飾ばかりだ。結果の隠蔽ばかりで謝罪もできない子どもにどうして信頼ができるのか。どうして信託できるのか。プライドと怒りで戦争に踏み出すような怖さがある。間に合う言葉もあれば、間に合わない言葉もあるのだ。