湊かなえ「告白」を読んだ

湊かなえ「告白」を読んだ。

中学生の学校生活を舞台にして、不穏の最悪を詰め込んだようなストーリー。

サイコパスなのにどこか人間的なキャラクターたち。登場人数はそれほど多くないのに魅力的だから惹き付けられていく。

冷えて陰湿な様々な事件が巻き起こり、ダウナーな気持ちになっているはずなのに、文字から目を離せば登場人物の心理に対する欲求が止まらない。人物の関係相関図を描かずにはいられなくなる。

エイズの感染力に対する知識や血液の混じった牛乳の色など腑に落ちない論理的歪さもいくつかあったが、致命的な穴はなく、彼らが起こす波に飲み込まれていってしまう。

 

新宿御苑のスタバで読んでいた。雨が降りそうだ。強い風で落ち葉がヒラヒラと落ちていく。ページに木漏れ日が差し込んだかと思えば、途端に雨模様に変わってしまった。聞いていたクラシックの音は耳から集中力に溶けて光のつぶつぶにまじっていった。閉店まで読んだ。

 

帰り道、夕方の都電では雨粒と夜を街頭が透かしていた。それらの光子が窓ガラスからページに降り注いできて、たった数秒しかないその光景はあまりに綺麗だった。すぐに端折れてしまうくらいか細い光景で、あのページは電子書籍には作れないほどきれいだった。

職場に復帰することが決まった

ようやく職場への復帰を決めた。12月頭から復職の予定だ。医師や上司とも何度も相談し、最後は自分で決めた。復職後の働き方について交渉し、ある程度業務コントロールできるようにお願いした。

 

村田沙耶香コンビニ人間」を読んだ。涼しい温度で普通について問うことで普通の概念を研ぐような作品だった。サイコパスな主人公の問いが鋭利で痛快でした。200ページくらいだったのですぐに読み終わった。

又吉直樹「火花」も読んだ。

もう7年も前の作品なのかと驚いた。休職中は芸人さんの動画やバラエティ番組(千鳥やさらば青春の光など)に救われることが多く、かっこいいなと思うタイミングが何度もあった。

芸人特有の生活や苦悩には説得力があり、情景描写の挿し込み方もうまい。心情の動きに厚みが出ていた。あの当時、絶賛されていたのも頷ける。最近読んだ本ではとくに良い本だった。とてもよかったのでNetflixにあったドラマも見た。

 

最近のこと

休職期間が残り数日に迫り、復職か延長かを決めるタイミングが差し掛かる。4週間前と比べれば確実に前進はしているはずだ。とくに、「いやな気分よ、さようなら」という本を読んでから、自分の感情に対して妥当性や合理性に関する検証を挟めるようになったことは大きな一歩だと思う。

 

とはいえ、本当に復職できるのか、不安はある。医師や上司にも相談したが、まだ結論はでない。自分で決めることなのだが、迷いがある。困っている。

 

明日の診察で決めなくてはならない。まだ、迷っている。

木下龍也「あなたのための短歌集」を読んだ

上坂あゆ美さんの短歌集「老人ホームで死ぬほどモテたい」を読んでから、短歌の面白さを知った。

 

作り手は短い音で一瞬を切り取り、読み手はその一瞬に降り募る情景や心情に思いを寄せる。たった三十一文字で作り手の景色と心情が行間まで補って私に再現される不思議。作り手の投げた言葉が心の泉に落ちて、凪いだ海馬からシーンが水しぶきを放っていく。まざまざと、生き生きと、よみがえる。水しぶきはたまに口のなかにまで入ってきて、苦さやしょっぱさ、甘さ、グロテスクな臭い、舌触りの不快さまでも伝えてくる。

千年後も、日本語を操る誰かには届くかもしれない、少ない音数の持つ飛距離。何百MBもの情報量を持つ動画媒体にはありえない、100byte以下の情報量が想像力でつなぐ飛距離。小ささの持つ強さ、遅さに備わる豊かさ。その背反するロマンチックさは甘美だ。

 

ジュンク堂の短歌コーナーで好みの歌人を見つける遊びをした。

 

何人かの歌集を手に取ってみたがそれほどしっくり来なかった。ふと気づく。皆、棚の一段を背表紙と表紙で分けあって陳列されているのに対して、一段まるまるを一人の表紙で埋める歌人がいた。木下龍也さんであった。書店からの推され具合がよくわかる。

 

数冊のうち、一冊をとってみる。

頁をめくってみると、右側のお題に対して、左側に短歌が書かれており、その構成が初心者には入り込みやすそうだった。この本を買うことに決めた。どうやら「あなたのための短歌1首」という短歌制作の個人販売サービスをまとめた本で、注文する顧客側が出すお題に対して、木下さんが、あなたのための一首を詠む、というサービスのようだ。

https://kino112.thebase.in/items/8135442

-----(以下、引用)

あなたのために短歌を1首つくり、便箋に書いて封筒でお送りします。お題はお名前とともに(引用者省略)へお送りいただくか、ご注文時の備考欄にご記入ください(長文でも大丈夫です)。この短歌を僕はどこにも発表しません。あなたのためにつくります。どうぞよろしくお願いいたします。募集は不定期です。お題のメールには基本的に返信をしておりません。また、お題をいただいてから1ヶ月以内には発送をいたします。

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顧客側のお題は様々で、自分の名前や恋愛、仕事、家族、飼い犬など多岐にわたっていた。右側にある言葉は私の悩みではないが、左側にある言葉は私への短歌でもあるのが不思議だ。様々な歌が刺さってきた。気づけば心の温度が上昇していた。心に小さな灯りが点くような気持ちになる。本を購入し、南池袋公園で残りの頁を味わうように読んだ。恋愛の切り取り方はしなやかで鮮烈で、痛みや不安に寄り添う言葉は柔らかくやさしかった。それでいて、三十一文字の言葉はどれも力強かったのが印象的だ。女性の肢体のようになめらかであり、北アルプスの稜線のように鋭利でもある。

 

好きな短歌は写真を撮ってスマホの写真フォルダに保存した。

 

丁寧に詠まれたこの短歌を顧客はきっと涙しながら繰り返し読んだのだろうな、という頁もひとつやふたつではなかった。顧客の声はbaseの店舗サービスレビューまで読み込んだが、多くの方が期待以上に満足していた。こんなサービスがあるのなら、いつか私も頼んでみたいと思った。短歌という世界がより身近に魅力的に見えた。

 

読み終わると、その足でまたジュンク堂に行き、著作を二冊買い増していた。

燕岳に登る20221105-06

北アルプスの燕岳に登った。

大学時代の友人から数日前に誘われて急遽登ることになった。先月の誘いは体調面で不安があり断ってしまったが、この2週間は調子が良い。この分であれば職場にも復帰できそうだ。

 

朝、5時に起きる。寝坊が不安であまり熟睡できなかった。新宿駅で駅弁を買った。大月を過ぎたあたりから、紅葉がきれいで、今日はなぜ山に登るのか、なぜ1300mも脚で高度をあげるのかと疑問を持った。ちょっとだけ帰りたい。

 

バスが遅れたために一時間程度、友人を穂高駅で待った。のどかな駅なのでゆったりと時間を過ごす。

 

1時間後に穂高駅で合流。11時30分頃にタクシーにて移動し取り付きへ。麓の紅葉や、軒先の熟した柿が鮮やかで空に映えていた。

 

12時過ぎから登り始めた。登りは樹林帯が延々と続く。登り始めは汗がひどく、友人が快適そうに着ていた化繊インサレーションとフリースの混合レイヤーにも興味が出た。

 

パンや羊羮、干し梅、わらび餅、ゼリーなど、たくさん食べながら登った。息を切らしながら登っていたらいつの間にか15時を過ぎていた。合戦小屋を過ぎたあたりからは雪による凍結があった。二ヶ所危ない場所があったが、結局はアイゼンをつけずに登った。4時半頃に燕山荘に到着した。

 

晩飯前に小屋の近くで雷鳥のつがいを見つける。日暮れに染まる槍ヶ岳もきれいだった。晩飯はビーフシチューを所望していたがハンバーグ。おいしかったのでなんでもいい。代表のおじさんが登山や北アルプスについて演説するプレゼンは、経験や理論に根付く素敵なものだった。私は感銘を受けていたが、友人はもう7回聞いているからと居眠りしていた。

 

夜は9時半から2時過ぎまではよく眠れたがその後は目が覚めてしまい、起きていた。呼吸だけ深くなるように意識した。窓からの寒気は3時頃にマックスを迎えていた。

 

4時半に起床。朝食を早々に済ませ、ご来光へ向かった。途中でまたしても雷鳥のつがいに遭遇。このあたりが彼らの縄張りなのだろう。白い冬毛がモフモフしていてかわいい。

ご来光を待つ。雲海のなか雲間から顔を出した太陽は、あったかくて、ちょっとだけ希望みたいな顔をしていた。

富士山はどーんと鎮座していた。富士山の周りを頬のような赤みのビーナスラインが縁取る。表銀座の先の槍ヶ岳も強い存在感。

 

この日ほぼ最強の防寒対策のおかげか、なんとか耐えきる。断熱材の入った厳冬期用の登山靴だったが、30分以上待機したために足先は結構冷えてしまった。11月とはいえ、やはり雪山だ。

 

燕岳という山は海底二万メートルにあった花崗岩が隆起して出来た山のようで、白い砂れきのような岩の道を進む。山を登っているのに見た目はビーチのようで実態は岩なのが不思議だった。珍しい岩を見ながら山頂へ行き下山した。

 

下山すると、すぐに森林限界から樹林帯に戻り、最後の方はずっと奥多摩の低山みたいで、少し飽きてしまった(このあたりが百名山に入りきらない所以なのだろうか)。

 

とはいえ、燕山荘から伸びるなだらかな稜線の先にあった燕岳は、山肌の白さが華やかで、また稜線のなだらかさも、美しい肢体の曲線のようにも見える、良い山だった。冬毛の雷鳥に会えたのも嬉しい収穫だった。

下山途中に食べたお汁粉もおいしくて、最後に入った温泉も露天風呂が思いの外広くて、最後に飲んだコーラは泡と甘さで2日間の疲れを吹き飛ばしてくれた。

 

(以下、登山記録)

往路

12時10分 中房温泉登山口出発

16時30分 燕山荘到着

水と湯600CC、行動食:パン3つ、干し梅、塩タブレットエナジーゼリー1つ、わらび餅1つ、羊羮1つ

 

復路

8時45分 燕山荘出発

11時25分 中房温泉登山口到着

湯300CC、行動食:お汁粉、干し梅、塩タブレットエナジーゼリー1つ

(天候、気温)

晴れ、麓で6℃程度、山頂付近で-7℃程度、風速6m程度

(通常時の服装)

ドライレイヤー、ベースレイヤー(冬用)、ミドルレイヤー(かなり薄目のフリース)

薄目の手袋、ヘッドバンド、靴下は厚手

※合戦小屋までは樹林帯だったため、第三ベンチまたは富士見ベンチあたりまではベースレイヤーだけでも十分だった。

(稜線)※山頂往復と下りのみ装備した

ソフトシェル+ハードシェル(+ダウン)

ウール手袋

バラクラバ、ゲイターは使わなかった

 

老人ホームで死ぬほどモテたいを読んだ

上坂あゆ美「老人ホームで死ぬほどモテたい」を読んだ。

何年か前からよくTwitterで作品は目にしていたが、ようやく歌集を買った。平熱で生死を、乾いた目で性や暮らしを切り取ったかと思えば、駆け出すようなBPMで夜を縁取る、みたいな印象。縦横無尽に広いエリアを冷静にカバーしながら、ときに体温をあげてステップを踏んでいく。あちらこちらの短歌にそこはかとなく通底する郊外感も良い。悲観にもたれ掛からないようなしぶとさが好きだ。全作品、口語体にこだわっているところもリズムと調和を生んでいる。

秋晴れの公園で、やさしい陽光が射し込むなかで読んだ時間が心を満たしてくれた。

 

「ストレス脳」を読んだ。

最近、思考力が落ちている気がしたので、本を批判的な姿勢で読みながら、検証点を鉛筆で書き込むようなやり方を取り入れることにした。大学時代の読書スタイルだ。数ヵ所程度だが、論証が弱い箇所が見つかった。自身の能力が下がりきっていないことに佐越安心した。単に情報を消費するような読書とは脳の刺激がやはり違う。

 

認知行動療法に加えて、マインドフルネスも学んでみようと思い数年前に買ったSERCH INSIDE YOURSELFという本を読んでいる。数年前は途中まで読んでやめてしまった。少し時間をかけながら読むことにしている。

 

最近は思考ノートという認知行動療法のアプリを使って思い付いた思考や感情を書き留めるようにしている。街で出くわすささいなルール違反やモラル違反に目くじらを立てている癖に気がつく。バカみたいなのでやめたい。

 

今週の土日は、大学時代の友人に誘われて北アルプスの燕岳に登る予定だ。毎日散歩はしているが、雪山装備(とはいっても、11kg程度だが)の荷物を背負いながら5時間の登りに脚が耐えられるか、少し心配だ。特に冬靴とアイゼンの重たい足下を支えられるかがネックだ。療養中の自分でもしっかりと登れるといいのだが。

山登りは5月に奥多摩を登った以来。楽しみながら、登りたい。

認知行動療法に関する読書の結果

先日、メンタルクリニックのカウンセリングを受けて、認知行動療法について勉強したくなり、ジュンク堂へ向かった。マンガでわかる認知行動療法という本を一冊立ち読みして、それから「うつ病のバイブル」と帯に記してあった強気な本を買った。

 
マンガでわかりやすい うつ病の認知行動療法―こころの力を活用する7つのステップ
 
まずはマンガの方で大枠を掴む。もう一冊の方は500ページくらいの分量で、さながら辞書のような分厚さだった。訳本のため多少癖はあったが、事例も多く文体は読みやすそうだったので買うことにした。
内容を要約すると「①人の気分や感情というのは、その人の思考、考え方に左右される」「②うつ状態の時には歪んだ考え方のために憂鬱な気分に陥り抜け出せなくなる」「③認知行動療法により、考え方を合理的に戻していくことでうつ状態を治療していく」ということが記されていた。それが認知行動療法の基本なのだろう。

いま、自分自身の抑うつ状態を振り返ると、「脳の疲れにより心身に異常をきたし、正常な思考(特に自己検証的な思考、思考の持続集中)ができなくなり、合理的な判断に支障をきたし自分で自分自身を傷つけている(過剰な自己批判)」という状態であったように感じる。以下は私の症状だ。

・言語コミュニケーションがうまくできなくなる(活字が読めなくなる、書けなくなる、会話に集中できなくなって他のことを考えてしまう)

・人がたくさんいる場所、大きな音のする場所に出掛けられなくなる(気分が悪くなる)
・自分の好き(趣味)が薄れていく
・自分がどんな人間かわからなくなっていく

・自分の手で人生をドライブしていく感覚が薄れていく
・自発的な思考がなくなり受動的な情報消費が増えていく

 

本書の内容は自分自身の症状や経過、経験に照らしても納得できることが多かった。

実際、この1週間で抑うつの感情が芽生えたときにも、その感情に通底する自身の考え方の合理性について、一歩引いて客観的に検証できるようになった。そのため、読み始めてからは憂鬱な気分に引っ張られ続けることがいまのところかなり少なくなった。

本書のなかでは、様々な不幸な境遇や他者の苦しみが出てくる。その抑うつ気分に共通して、底面に流れている不合理な考え方を筆者が対話のなかで検証し、1枚1枚丁寧に剥がしていく過程により、自分自身の不合理な考え方が透けて見えてくる感覚があった。

 

医師や臨床心理士は助けにすぎず、患者自身で治療のハンドルを握る必要があると考えるが、そういう意味で、読書というのはよい方法かもしれない。世の中にはどうやら読書療法というものがあるらしいが、それも理解できる。

 

ただし、分量が多いため、回復期の終盤でないと読み進めるのは難しいかもしれない。初めはさくらももこあたりのライトな文章でリハビリするのが結果としては近道かもしれない。

 

今日は医師との診察だ。数えてみると8回目だった。今週は、いままでで一番前を向けたと報告しよう。