意識の果てのゲロ

ベッドから起きると、なんとなく身体の節々が痛くてだるかった。少しはましになるかと思い、熱目のシャワーを浴びた。シャワー後に栄養ドリンクをキメ込んだ。

家を出る。渋谷に着く頃、急に気持ち悪くなったので下車。駅のベンチに腰かけた。10分経って気持ち悪かったら次の予定はキャンセルしようと決める。気持ち悪さが増して、このまま救急車で運ばれたら楽かもしれないと思う。手足が痺れる。視界に幾何学模様のスクリーントーンが混じる。意識がもうろうとしている。いよいよ救急車を呼ぶべきか。しかしそれすらもできなそうだ。

このベンチに寝っころがりたい。それなのに睡眠防止用の仕切りがあって横にもなれない。意識を失うときにはベンチから前のめりに落ちようと決める。そうすれば誰かが通報してくれるかもしれない。財布はポケットだがスマホが手にある、このまま意識を失ったら盗られるかもしれない。どうでもよい。つらい。視界がぼやけてきて、意識の遠退く果てに、そのままついに戻してしまった。

涙越しに吐瀉物を見つめる。この液体物はつい数秒前まで俺の中にいて、俺の一部だった。いまは社会に迷惑をかけるごみかすでしかない。俺という存在の曖昧さを感じながら、靴に付いたゲロのかすをティッシュで拭き取った。

戻したら少しだけからだが楽になった。駅のホームでゲロを吐くのは過去に何度かあるが、アルコールをキメずに戻したのは初めてだ。

2年前からこういう症状が出ている。昨日で三回目だ。おれはいつか死ぬのかもしれない。山で接する死には生が燃えるが、昨日はまったく燃えやしなかった。不燃物としての死もある。全然暗い気持ちにならないのは少し不思議だ。